アスパラがにょきにょき

春は思いのほか早くきて、桜は半月も早く咲いたのに、寒の戻りがたびたび襲い庭の木も草花も「もう、たまんないよ~」と悲鳴をあげているのです。昨日は5月8日ですけど、なんと雪が降ったと・・ここは降らなかったけど寒いのなんのって、ほんとにたまんないのです。

4月中ばたばたと忙しいなか、友人と水芭蕉を見にいきました。コロナ禍後ひさかたぶりのブラ旅です。

村上春樹の新刊「街とその不確かな壁」読了。西加奈子のエッセイ「くもをさがす」を読みました。読めば読むほど読みたくなるという、これはいったい何なんでしょうねえ。

 庭には、にょきにょきアスパラのおでましです。今日はきのうの雨でぐぐっとおおきくなったもの5,6本見つけました。

梨の花

「リアスのうみべさんてつがゆく」IBCラジオで

3月10日。IBCラジオ奥村アナの「新米ママの井戸端会議」で絵本「リアスのうみべさんてつがゆく」が朗読されました。奥村アナウンサーのとてもきれいな声で朗読され、耳をかたむけて聞きました。列車の警笛やガッタンゴットンと走る音もはいり、すっかりその世界に浸ることができました。そういえば、この番組が始まったばかりのころ、そう奥村アナが新米ママになりたてだった頃、はじめてお会いしましたね。また、絵本取り上げてくれて、本当にありがとうございました! 朗読とってもよかったです。三鉄がしたこと、忘れずに伝えていきたいものです。IBCの皆様、いつもありがとうございます。

ちょうどひと月前・・2月4日でしたが岩手県立図書館主催「読書のつどい」で、前三陸鉄道社長の中村一郎さんとトークショーをさせていただきました。絵本の話と後半の部分では読書について話しました。わたしは話すのが苦手なので、とても緊張しましたが、本の話になると楽しくて楽しくて、話はつきないのでした。様々な本の話をしたのですが肝心の「小説」まではいかなかったのです。中村一郎氏もたくさんご本を持参してくださり、共通するものも多くほんとに楽しかったのです。そして以外でしたが、本の話ならもっともっと話せるかもと、思ったのです。

で、今何を読んでいるかというと、カズオ・イシグロの「わたしたちが孤児だったころ」昨夜残りの半分を読み終えました。(なんてすごいひとなんだろう)としかいえません。「ゼロからの資本論」斎藤幸平、養老先生の「猫も老人も、役立たずでけっこう」など。こういう作家の人たちがいるというそのことが、わたしのささやかな希望でもあります。

先ほど、庭に出てみたら福寿草が5,6輪咲いていました。金色のとてもきれいな花。もう春になりますね。

 

角田光代氏トークショー

秋晴れです!木々は葉を落とすものもあれば、紅葉を待ってくすんでいるものもありです。

今年はアケビが数個しかなりませんでした。でも、梨が20個以上ついて(去年は1個)まあ、びっくりおったまげてしまいました。それに、甘くてちょっと酸味があり、とってもジューシーだったのです。

来週10月23日(日)作家の角田光代さんが久慈においでになります。講演がトークショーになり、なんとわたしがお相手を務めることになりました。うれしいような、こわいような、おそろしいような・・。でもこんな機会はもう二度とないでしょうから、精一杯お話をうかがい角田文学に迫りたいと思います。まだ、若干席があるようなので、ぜひお出かけください。

角田光代氏×宇部京子トークショー

主催 久慈市立図書館 10月23日(日) 午後2時~3時30分 会場午後1時30分

場所 久慈市文化会館(アンバーホール)小ホール  (無料)

受付連絡先 ℡ 0194-53-4605

 

ウクライナ シェフチェンコ詩集

ずいぶんさぼってしまいました。

92歳の姑が他界し、49日が過ぎてほっとできると思ったその日の早朝、東京の姉の突然の訃報。コロナ感染が急拡大のなか、かくごをきめて葬儀に行ってきました。帰って一週間部屋にこもって本を読みました。新刊三冊と、図書館から借りたシェフチェンコ詩集「コブザール」も。

なぜウクライナの戦争は、とまらないのか。なぜ、ロシアは戦争をするのか。連日のニュースは、かなしくなるばかりで、つらい。何かの記事でシェフチェンコを知り図書館にリクエストしてひと月以上たってやっと手にした。

「農奴」という言葉があった時代のウクライナ。たった200年前の不幸なおそろしい時代。今目の前に、理不尽な戦いを見せつけられることにいいようのない圧迫感と不安を抱く。詩集「コブザール」はむずかしいことは何もなくすんなりと読める。ただし、その現実があまりに辛く過酷で、目も耳も覆ってしまいたくなるほどの衝撃をうけた。

知らぬうちに操作されてはいないか。気づかないふりして、何かを振り落としてはいないか。そんなことを考える一冊だった。

 

村上春樹の普遍性

寒い日が続いている。けれども晴天続きだ。オミクロン株の急増で毎日が静かに暮れていく。

村上春樹の「女のいない男たち」のなかの「ドライブ・マイ・カー」の映画が世界中で高い評価をうけている。なぜ?

もう一度本棚から本を取り出し再度読む。何が人々のこころを引き付けるのか。そんなことを思って文章を読み、この箇所かなとかとか思うが、まあ、何はともあれ大好きな春樹文学が世界の中で称えられるのはほんとに嬉しい。叩かれていた時期からの春樹ファンだからなおさらに。

ブレイディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」を読む。やっぱり、おもしろい。英国の階級社会の有様をさらりと偽りのない目線でさわやかに綴っている。けっして入り込むことなく、その目はまっすぐであたたかい。格差社会はひしひしと日本の子どもたちにも浸食している。

「クララとお日さま」

4月から5月、身内に不幸がつづき,すっかり落ち込んだ気持ちも、庭の花が次々と咲き、清々しさに、癒される日々。さわやかな初夏の空気がひんやりと漂っています。今日は雨。

斎藤幸平「人新世の『資本論』」若い人が、この本を書いたことが嬉しい。

「クララとお日さま」カズオ・イシグロ やっぱり、すごかった!! 描写も発想も。

どちらも、近未来を暗示しているんでしょうか。未来はどこを目指すのでしょう。

友だちからこんな本が届いた。「岩波少年文庫のあゆみ」Ⅰ950-2020若菜晃子 「かつてあったいいことは どこかで生き続ける」と手書きのサイン入りで。この言葉大事にしたいなあ・・・・

 

「戦場の秘密図書館~シリアに残された希望~」

毎日、本をかかさず読む。新刊3冊買うと面白ければその日のうちに三冊読んじゃう(最近は新書三昧だ)。困ったものだと思う。でもやめられない。目がだめになるか、寿命がつきるか、ぼけちゃうか。ま、本がこの世にあって、ほんとによかったと、思う。

で、久しぶりできゅうんと胸をうった本。「戦場の秘密図書館~シリアにのこされた希望~」文溪堂。イギリスのジャーナリスト、マイク・トムソンが書き、編訳を小国綾子氏が担った。シリアのことも難民のこともアサドのことも、あまりよくわかっていなかった。けれど、この本で、中東でなにがあったのかが、よくわかった。そこに生きる子どもたちの姿。本との出会いが生きるよすがであっただろうその事実。(バーシトの「本は雨のようにすべての人に降り注ぐ」という言葉が好きです。一冊の本を読むこと。感じたことを胸に刻むこと。それを、だれかと語りあうこと。遠いシリアの図書館の話が、実はわたしたちと地続きにあるんだと感じていただけたらうれしいです)。と小国綾子氏は結んでいる。

この本をすべての中学生に読んで欲しい。そんな一冊です。

梨木香歩「ほんとうのリーダーのみつけかた」

童謡「たきび」に出てくる’さざんか さざんか 咲いた道 たきびだ たきびだ おちばたき’のさざんかが好きで、寒冷地では咲かないなあと思いつつ、何本かのさざんかを植えてきた。玄関前の日陰に植えたさざんか。冬は囲いをし7年くらいたつかな、やっと花が咲いた。蕾がたくさんつき、可憐な花がたくさん咲いている。これも温暖化のせいかもと思いつつも冬の花はうれしい。

コロナがまた勢いを増し、おとなしい日常がつづく。本が躰に染みわたるように入る。梨木香歩はデビュー当時から好きで新しい本があれば買って読む。「ほんとうのリーダーのみつけかた」岩波書店2020年。若い世代にむけた本である。率直で忌憚なく時代の裂け目をついた内容。しらずしらずのうちに目くらましをくらい、同調圧力に屈することのないようにとの願いをこめた本。ほんとうもううかれている場合ではないのだ。と。

「一人称単数」「猫を棄てる」

写真は2011年5月末日。東日本大震災後、なにもない被災地の大地にたった一輪「ここ、ここ、ここに、家があったんだよ」と告げるように咲いていたプリムラの花。

 

ススキが揺れて、赤とんぼが。チョウもひらひら、蜂もブンブン。ちょっと暑さが弱まりました。

ここ2週間ばかりで何冊かの本を読んだけれど、やっぱり村上春樹はおもしろい。若い頃に書いたきらきらした本の数々が、ここにきて、すんだ秋の空のような清さと広がりと透明なふかさを感じさせます。「一人称単数」「猫を棄てる」二冊。村上さんも、人の子だったんだなあと、より親しみを感じたりして。これから作品がどうなるのか、ほんとうに楽しみ。はんぱないプレッシャーでしょうが(それなないのかも・・)、高みへとかぎりなく上り詰めていって、ほしいですね!

「虫とゴリラ」

お暑いことで。きょうも35度ぐらい上がってそうです。

養老孟司先生と山極寿一先生の「虫とゴリラ」読みましたか?

情報化社会でなんでもAIが優先の現代社会。地べたをはいつくばって遊んできたものにとっては、違うんじゃないのとは思っても、口をつぐんじゃう昨今。

おっ、ついにお二人さんそろってのお出でましか、と喜び勇んで一気読み。う~ん。なるほど。自然の中で生きてきた日本人はいつのまにか、自然さえも排除してきた。あんなにいた虫も蝶も、魚も、ほんとにいなくなってしまったしね。なんでだろうと思っちゃうけど、経済と効率なんだろうな。でも、それで人が幸せに向かっているかというと、そうではない。過度な競争で辟易し疲弊している。

きのう読んだ谷川俊太郎さんの本にも、意味なんてないんだ地球にも宇宙にも、ただそこに存在している。と書いてあったけど、この本でも「やはり人間は「意味」を求めすぎてしまう。意味のないところに意味を見出そうとするから、こういう文明社会が生まれ、取捨選択して都合のいいように世界をつくり替えようとする。そこをもう一度、思い直さないといけない。と。人間をも意味がある、ないで分類されてしまったら、なんと恐ろしい世界なんでしょう。

意味のないものに目をむけること、触ること、共感すること、感じること、感動を分かち合うこと。                           「人が生まれながらにして持つ感性には生物としての倫理がある。」この言葉、信じたいですね!